画家AKi AKi研究所 ゴーグリーン
AKi研究所 ゴーグリーン 業務概要図

研究内容

人間の研究とは、さまざまな要素が重なり、とても複雑な構造の上に存在しています。私たちは、AKiの取り巻く環境を各それぞれのジャンル(作品医学・福祉社会家族)に分類し、それぞれのジャンルを一つひとつ深く掘り下げながら、また各ジャンルの連動を図りながら、特異性、特質性、ポテンシャル(可能性)を探るのと同時に、各研究により発見されていく、新たな価値観、新たな創造を、社会と連動しながらアウトプット( 執筆、講演などのご依頼はこちら)しています。

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1.2 色彩

AKi作品の特徴「色彩」国内外のコンクール受賞の要因の一つでもある。センス(感覚)への評価は「才能」という一言で片付けられてしまうことが多々ある。特にAKiは知的障がい者ということもあり、先天性(生まれた時に既に備わっていたモノ)として片付けられることがほとんどである。才能と言っても、さまざまな才能があるため、どんな才能があるのかを研究してみた ⑴ 生い立ち 自宅環境、親や家族の職業、地域、興味を持ったものなどの情報を集めるだけ集めてみた。特に気になったエピソードとして、祖父が印刷職人として塗料が生活環境にあり、祖父はAKiに対し好き勝手に遊べる道具の一つとして、特別に許可してもらえており、そこで色作りという遊びを行っていたという。また、お散歩するエリアの中で、国立美術館や、日本橋、銀座・・・と歴史的な世界を代表する作品の色彩を生で観ることができ、また、時代の最先端をいくファッションなどのショップのウィンドー ディスプレー(作品)を身近に視野に入れられる環境であった ⑵ 作品と向き合いながら「色」という概念をどう捉え、どう解釈しているのかのヒアリングを何度も繰り返してみた。「赤」と尋ねても「どの赤?」「青」と尋ねても「どの青?」と私たちが持つ概念とは全く違う感覚をもっていた ⑶目に写るモノ(目の前の物、文字や数字、動物、人間など)が、私たちが平均的に捉えている色と、どう違うのかヒアリングを何度も繰り返してみた。「色」の概念と同様、私たちが見えている「色」と違うことが多々あった。人間や動物の感情、文字や数字ですら、さまざまな色で目に写っているとのこと。【見解】生い立ちを考慮すると「色彩」というセンスを養うには、最高の環境であった。現在も、絵を画く楽しさの一つに「色作り」が上位にきている程である。また、色の概念としては、自分なりの独自の感覚を持っており、おそらく、生まれた時点で「色」に対しての「識別能力」もしくは「色への興味やこだわり」が他人に比べ”少しだけ”長けていたのではないかと推測される。楽しい、嬉しいと心の底から感じられる”行為”の中に、生まれ持った素晴らしい才能があるのかもしれない。これは、障がい者だろうが、健常者だろうが関係の無いことである。いずれにしても、どんなに素晴らしい才能をもっていても、その才能に自分自身が気付かない、活かせない環境に身を置いてしまえば、それは無能になってしまうのである。

1.1 新たな価値観、新たな想像

絵を画くには、何かしらの理由がある。画き続けるには、何かしらの理由がある。画く為には、何かしらのネタが必要になる。AKiの場合、どうもネタが尽きることは無く、むしろ一つ画く度に、ネタが次から次へと、頭の中に溢れ出てきている。AKiが画く理由とは何か?を探ってみた ⑴AKiは、意思疎通を言葉で伝えるのがとても苦手である。出逢った当初は、まったく意思疎通ができず、父の通訳が入ってやっと理解できる状態であった。10年前に個展を開催するようになり、自身の作品を挟みながら、お客様との会話をする機会が増え、少しずつ会話もするようになった。しかし、現在でも、1時間程、話し続けると、相当な疲れを感じている様子で、時に眠り込んでしまうことも ⑵幼少期、母が絵を画くのが好きだったこともあり、遊びの中で絵を画く機会が多々あった。学校では、文字や数字を覚えるより、とにかく絵を画いていた。落ち着きがなく、一箇所に留まることが苦手で、フラフラとどこかに行ってしまうなどの行動がみられたが、絵を画いている時だけは、落ち着きをもち、精神的にも安定している様子だったとのこと ⑶ 美大の先生たちから「AKiの作品は観る者を試している。私は、作品に対して論じてよいのだろうか? 先生の立場として応えるのには、時に怖さを感じる」と評論してもらったことがあった。美大に入ってくる学生のほとんどは、何かしらの美術の勉強をしてくる。大学に受かるためには、ウケる作品、評価が高い作品をどうしても目指してしまう。それは、同時に美術、芸術の素晴らしさを失ってしまったのである。AKiは、その学生を原点に返らせるための役割として、特別講師として迎え入れられたのであった。学生ではなく、先生として。当時、23歳だった【見解】まずシンプルに考えてみよう。もし生まれた時に、自分の意思や考えを相手に伝えられなかったら、どう行動するのだろう。先ず、何かしらの方法を考えるだろう。泣いてみるという方法を覚えるところから始まり、多くの人は言葉に辿り着く。ところがAKiの場合は、言葉を使うことより、絵を画くことに方法を見出した可能性が高い。ただ、人間社会は、言葉という方法を選んでいる人が非常に多くいるため、意思疎通を取るのが難しく、相当なフラストレーションがたまり、多動症のような行動になったのではないかと考えられる。また、AKiにとっての絵は意思であり、考えであり、疑問であり、質問であり、遊びでもある。私たちが使っている言葉や会話と同じ存在であると考えられる。面白いことに、大きい作品になればなるほど、小さな作品に比べ、特に力強い表現がみられる。言葉の音量として置き換えたら、小声と大声として使い分けている可能性がある。AKiが画く理由とは何か?それは、意思疎通(メッセージ)である。意思、考え、疑問、質問、遊びが尽きない限り、画く理由が存在するのである。AKiの脳機能の中で、3歳〜4歳ぐらいから成長が止まっている、もしくはゆっくりと成長し続けている部分がある。捉え方を変えれば、純粋で無垢な感覚をいまだに保ち続けられている。3歳、4歳児とAKiの違いは、30年も絵を画き続けている=表現の幅を持っているのである。もしかしたら、この感覚(純粋で無垢)の中に、私たちが未だ気付いてこなかった、もしくは見過ごしてきた、未来への新たな価値観、未来への新たな想像があるのかもしれない。
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